ふと思う。私の意見。

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分かり合われへん同士って辛い。

価値観が少し違うだけで全く理解し合われへん。

生まれ育った環境?その人自身の性格、考え方?

そうかも知らん。その差で価値観も性格も変わってくるんやろうけど。

でも距離が近いのに、分かり合えん姿を見るのは心苦しい。

 

それが家族ならなおさら。

どうにかしたいって思うに決まってるやん!

赤の他人やしどんな生活してきたかなんか全然分からんけど、やっぱり家族の絆はそう簡単に切れるもんじゃないし、崩せるもんじゃない。

子供やから親に何でも言っていいわけがないし、親やから子供に何をしてもいいわけでもない。

お互いに「これされたら嫌」「こう言われるの嫌」

って限界がある。

 

私は家族に捨てられ、捨てました。

捨てられたって私が捉えてるだけであって、ほんまにそうかは分からん。ただそう感じた以上そう思ってしまう。さっき家族の絆はそう簡単に切れるもんじゃないって言ったけど、切れるよ。

切ろうと思ったら、そりゃ簡単に切れちゃうよ。

そうした後に後悔することもいっぱいあるやろ。

やっぱ家族やもん。そりゃ多少は悲しいやろ。

今はこれで良かったって思えても、一生忘れることはないし、なかったことに出来るはずもない。

全部全部自分自身で選択してきた道や。

後先考えずにその場だけの気持ちで家飛び出して、一旦気持ち落ち着かせようと思ってした行動が、想像もしてなかった方向に行って、「これで良かったんかな?あ、こっちのが自分に合ってるわ」って思ったらまた失敗して裏切られて。

誰信用したらいいんか分からんくなるよ。

でも、やっぱ家族やから思い出なんて美化されるわ。その場におらんなったら嫌な思い出なんて小ちゃく感じんねん。家族がめっちゃ大事なんやって思うねん。

自分がそんな思いしてるのに、他の人にもそんな気持ちはさせたくない。味わってほしない。

 

知らんで?知らんけど見てるだけやったらめちゃくちゃええように育ててくれてるやん。

それで幸せって思わへんのやったらどこかに原因はあるんやろうけど、それを改善しようともせんのに文句ばっかり言うのはズルいわ。

親がやって当たり前。そう言う環境で育ってるから。別に頼んでない。って全部言い訳やん。

何様やねん。いっぺん自分で全部やってみーや。

どんなけしんどいか、大変か、ストレス溜まるか。

 

人の気も知らんで我がの勝手でモノ言うのはあかんで。なんぼその場の感情だけで発した言葉で、その人はたいそ傷ついてなくても、周りで聞いてるもんはグサッとくるで。

自分に関係なくても、やっぱそんな言葉聞くのは辛いで。

私は親にそんな口聞いたことないけど、聞いたらそりゃもう半殺しにされるからな。

でも、親が言い返してこんからって好き勝手言ってたら、いつか後悔する。

 

私もそんな気持ちやったよ。

親なんか邪魔やし、いらんことばっかり言ってきて

何様やねん。鬱陶しいねん。自分もできてないことばっかりのくせに。とかいっぱい思ってきたよ!

でも、やっぱ親やから、そんなけ経験してきてるから。子供に失敗して欲しくないって気持ちで言ってるねん。

 

そりゃ私もまだまだガキやし、これから学ばなあかん事の方が多い。それでも失敗してるからこそ家族の事はめちゃくちゃ大事にしてほしいねん!

家族がおってこそ、今の自分がおるんやから。

絶対どこかで感謝してるはずやのに、一個嫌いなとこ見つけたらそこばっかりつけ込んで、親ばっかり責めて。ぜーんぶ自分で選択してきたんやろ。

無理矢理って言うけど、ほんまに嫌やったら殴りかかるほど拒否反応するわ。

 

住んでる家の文句言うんやったら、自分で家買えるんか?そんなお金あるんか?

「今まで貯めてきたお年玉」何て笑わせんといて。

それも全部親の、親戚のお金やから。

自分のものじゃない。自分が汗水流して、苦労して稼いだお金じゃない。

所詮子供なんやから大人になるまでの辛抱やろ。

 

普段の生活の中で当たり前にある事を「当たり前」で終わらせたらあかん。みんな平等にその当たり前があるわけじゃないし、自分にその当たり前があるからそれでいいわけでもない。そりゃ生まれ育った環境がそこなんやから、そんな思考になるなんて難しいことなんかも知らん。

 

でも、じゃあせめて感謝だけでもしたらどうかな?

「ありがとう」「ごめんなさい」って言ったことある?

そりゃあるよな。友達とか先生とか先輩とかさ。

じゃあ家族は?

絶対あるよ。自分の記憶にあるかないかくらいの小さい時とか、小学生の時とか。

みんな絶対に親とか先生に教わってるはず。

「こういう時はありがとう。」

「こういう時はごめなさい。」って言うんですよって。

じゃあいつから言わんなったん?

それは何で言わんの?

親が嫌いやから?

言うまでもない当たり前の事やから?

その一言があるのとないのでは全然違ってくる。

たったその一言が言えたら、その人の気持ちは晴れるやろう。言われたら、めちゃくちゃ気持ちスッキリするやろうに。そんな言葉言われても気持ち変わらんって人は、どんなけ性格捻くれてるねん!

 

謝るのが嫌とか認めたくないとかそんなプライドいるんかな?一旦落ち着いて、相手だけ責めるだけじゃなくて自分のあかん部分も考えてみたら、謝らなあかんなって気持ちになるやろ!

家族以外にはそうしてる?何で一番身近で大事な存在を雑に扱うん?他人には社交辞令として当然のことやけど。

家族やから気持ち理解してくれてるとか、別になくても切れるような関係じゃないとか。全然そんな事ないから。

家族でも気持ち伝えんかったら、子供でも親でも何考えてるかなんて全く分かるわけがないやん。

家族やから関係が切れへん?

切れるってめっちゃ簡単に。

 

あれーー?ってくらい簡単に切れるんやって。

本気で切ろうと思ったら、一瞬で切れちゃうよ。

全然当たり前の存在じゃないから。

めちゃくちゃ大事にして!

言葉なしに分かり合えるわけがないから。

 

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私がまさにそう!めちゃくちゃ大好きやった家族を一瞬で失ってしまってん!自慢できる話なんかじゃないよ全く。想像もしてなかったよ。こんな事になるなんて誰も想像してなかった。でも、一回口に出した言葉って二度と取り消されへんねん。

その人と私だけの間とかそんなん関係ない。

言った本人も聞いた人も、言葉の重みが違っても一生心に残る傷が出来てしまうねん。

 

私(俺)は昔からこういう人間やから。って決めつけんといて。変わろうと思ったら変われるから。

自分で限界決めつけてたら、変われるもんも変われんわ。今はそんな自分かも知らんけど、変わろうと思ったら変われる!

 

家族の事は自分の事のように大事に思ってあげなあかん。自分の事が嫌いなら、まず自分を好きになって、好きまでいかんくても自分自身を認めて受け入れる。「自分を大事にできん人は、他人も大事に出来ん。」

 

めっちゃ最低な親に育てられたとしても、それでも親やしそこまで育ててくれてるんやから。

親が子供を育てるのは義務かも知らんけど、子供はそれを当たり前って思うべきではない。

好きで産んで育ててるんやけど、それでもめちゃくちゃ大変なんやってことをある程度年取ったら分かってくるはず。

自分が生きていく上で、ほんまに家族は大事やと思う。

 

彼氏、彼女もそうやけど、ずっと一緒におったら当たり前の存在になってしまって大事さが欠けていくかも知らんけど、家族以上にあっさり切れるから。

気付いたら横におらんから。所詮そんなもんや、他人って。全員がそうとは限らんけども。

 

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最初に戻るけど、分かり合われへん同士って悲しいな。お互いの言い分を言って改善を求めた上での結果は仕方ないかも知らんけど、最初から諦めて向き合おうともせんって、かわいそう。

いい方向に行く可能性を自分で潰してるんやから。

親じゃないから、親の気持ちなんてまだ分からんけど、子供を育てるってめちゃくちゃ大変なんやな。

 

毎日大変お疲れ様です。

人にはその人なりの意見があり、行動があります。

どうしても分かり合えない人なんて、当然たくさんいます。でも、その中でも改善しようと思えば出来ることもあるのでしょう。それが家族ならなおさらそうしてほしいです。私自身が出来なかったことを人に押し付けるのは申し訳ないですが、同じような気持ちになる人は見たくないのです。

やっぱり家族は笑顔で暖かく居られるような場所であってほしいです。自分が行き場をなくして信用をなくしてしまった時でも、唯一帰れる場所でありたいです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

あくまで私個人の意見でありますので、不愉快な気持ちになられた方には大変お詫び申し上げます。

好きなアニメを語ります!

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私は昔からアニメを見るのが大好きです!

 

最近見ているアニメは、『僕のヒーローアカデミア』『鬼滅の刃』『約束のネバーランド』などです!

今回お話ししたいのは『僕のヒーローアカデミア』です!

 

僕のヒーローアカデミアの4期が2019年10月12日からスタートしました!

毎週土曜日17時半から放送しています。

 

世界総人口の8割がなんらかの個性を持っていて、大体は4歳までに個性が発動するものと言われています。主人公の緑谷出久(みどりやいずく)は無個性でした。個性を持つ人たちが活躍するヒーローという職業は、個性を悪用するヴィラン(敵)を倒したり、市民の安全を守るという役割があります。その中でもNo.1ヒーロー「平和の象徴」と称えられるオールマイトに憧れていました。そんなある日、緑谷出久ヴィランと遭遇し危機に陥ってしまいます。「もうダメだ」と思った時に助けてくれたのがオールマイトでした。その出会いをきっかけに、緑谷出久オールマイトと共に肉体を鍛え、No.1ヒーローのオールマイトから受け継いだ個性(ワン・フォー・オール)を手に入れ、雄英高校ヒーロー科に入学することができました。入学はできたものの、受け継いだ個性をうまく制御できず肉体がボロボロになりながらも諦めることなく鍛え、個性を自分のものにしようと努力します。

 

爆豪勝己(ばくごうかつき)は緑谷出久の幼馴染みで、完璧主義者です。緑谷出久のことを無個性で役立たずと見下し「デク」「クソナード」と軽蔑しました。無個性でも化け物レベルの運動神経の持ち主で、学力も優秀で平凡な私立中学出身であるが国立で最難関の雄英高校を余裕で狙えるほどです。

「自尊心の塊」とまで言われる問題児でしたが、ヒーロー目指す日々の中で多くの挫折や葛藤を経験し、やがては強靭な精神性を秘めた本物のヒーローへと成長していきます。

 

No.2ヒーローのエンデヴァーの息子、轟焦凍(とどろきしょうと)は、雄英高校は推薦入学で緑谷出久のクラスメイト。入学当初は一匹狼だったが雄英体育祭後、徐々にクラスメイトと打ち解けていけるようになった。轟焦凍は優れた成績を収めており、「強さ」でも同学年では爆豪と並んで真っ先に名前が挙がる実力者。家族関係は良好ではなく特に父親のエンデヴァーには強い敵意を向けていました。

 

麗日お茶子(うららかおちゃこ)は、本作のヒロインです。緑谷出久のクラスメイトの一人で笑顔が絶えない女の子。憧れのヒーローは災害救助で活躍するスペースヒーロー、13号です。緑谷出久に片思いをしています。基本的に標準語で話しますが、たまに出身地の関西弁になったりもします。

 

飯田天哉(いいだてんや)は緑谷出久のクラスメイトで1年A組のクラス委員長です。典型的かつ極端に真面目な性格の一方、興奮すると言葉遣いが荒れたりすることもあります。憧れのヒーローは実の兄であるターボヒーロー、インゲニウムです。

雄英体育祭の最中に、兄がヒーロー殺しステインに襲われ重傷を負い、再起不能になってしまったという残酷な事実を知る。そして兄の頼みを受けて、ヒーロー「インゲニウム」の名を受け継ぐことを決意しました。

 

他にも様々なクラスメイトがいます。

 

私が好きな場面は、雄英体育祭です!

雄英体育祭はTVでも放送される、日本のビッグイベントの一つです!

現役プロヒーローもスカウト目的で大勢観戦に来ます。

 

第一種目は障害物競走。

会場の外回り4km1周です!

個性使用あり、生徒同士の妨害もありのコースさえ外れなければ何でもOK!

会場に一番最初に戻って来た人が一位です!

 

第二種目は騎馬戦。

制限時間は15分で、第一種目の順位で各個人にポイントが振り分けられています!

騎馬が崩れても失格にはなりません。

 

全員参加 レクレーション!

本戦には関係なしの種目です。

最終種目に出る選手は自由参加です。

1,借り物競走  2,大玉転がし

 

最終種目はガチバトルトーナメントです!

毎年最終種目は1対1のバトル形式です。

今年は場外アウトのガチバトル!

怪我をしてもリカバリーガール(治療してくれる保険員)がいます。

致死になりかねない攻撃は禁止です。

 

というルールになりますが、第一種目からやはりヒーロー科のA組は一度USJ事件で、ヴィランとの遭遇があり戦った者もいる経験の上から動きや状況判断が素早いです!

緑谷出久は個性を使ってしまうと、加減が出来ず重傷を負ってしまうので、第一種目は個性を使わず上位を目指し、第一関門の仮想ヴィランロボットの襲撃の際、轟焦凍がロボットを倒した時の破片を上手に利用し見事に一位になりました!

2位は轟焦凍 3位爆豪勝己 

と続きます!

 

第一種目で1位となった緑谷出久には第二種目の騎馬戦での与えられるポイントは1万ポイントです!

42名の参加者がいて、下の順位から5ポイントづつ増えていきます。騎馬を組んだチームの各自のポイントの総数がチームのポイントとなります。

緑谷出久は、麗日お茶子と常闇踏陰(とこやみふみかげ)とサポート科の発目明(はつめめい)と組みました。発目明が発明したサポートアイテムを装備し、麗日お茶子の個性ゼログラビティ(触れたものを何でも無重力にすることができる)をタイミングよく使用し、常闇踏陰の個性ダークシャドウダークシャドウを自由自在に操ることができる)で防御に徹底するという作戦です!

 

しかし、轟焦凍のチームが緑谷出久チームを狙い追い詰められました。轟のチームは飯田天哉と上鳴電気(かみなりでんき)と八百万百(やおよろずもも)です。飯田天哉の個性エンジン(50m走を3秒で走ることが可能)で素早く追いつき、上鳴電気の個性帯電(体に電気を溜めておき自由に放出できる)で敵を近づけないようにし、八百万百の個性創造(生物以外の物を創り、出現させる)で攻撃や防御をする作戦で、緑谷出久は1万ポイントの鉢巻きを奪われてしまいました。

奪い返そうと反撃を試みましたが、失敗してしまいました。と思われましたが、常闇のダークシャドウが1本の鉢巻を隙を見て奪っていました!

それは1万ポイントではありませんでしたが、少しでも点数は高くなりました。

そして騎馬戦が終わりお昼休憩が挟まれます。

休憩後はレクレーションがありました。

 

いよいよ最終種目!ガチバトルトーナメントです!

第1試合目は緑谷出久普通科の心操人使(しんそうひとし)です。

心操人使の個性洗脳(彼の問いに答えると洗脳されてしまい、彼にその気がなければ無効)で騎馬戦時に緑谷出久と同じクラスメイトの尾白猿夫(おじろましらお)が心操に洗脳されてしまいその悔しさを緑谷に託したが、心操は尾白を侮辱することで緑谷に挑発しました。緑谷は尾白から心操の問いには一切答えないように注意をするよう伝えましたが、尾白を侮辱する発言に緑谷は我を忘れ、心操に口きいてしまいました。そして洗脳され、場外へ出るよう命令されました。体は言うことを聞かず言われた通り場外へ向かっていきました。緑谷の頭の中では「止まれ!止まれ!」と叫んでいました。

そしてダメかと思った時、場外の真っ暗な通路の先から誰かの視線を感じ、見るとそこには数人の影がありました。それと同時に緑谷の指先に力が少し入り強制的に個性を発動し、指を鳴らした勢いの風圧で洗脳が解けました。動揺を隠せないままとりあえず目の前の戦いは勝ちました。

 

少し長いのでここで一旦区切ります!

最後まで読んで頂きありがとうございました!

是非続きも読んでいただければ嬉しいです^ ^

言葉

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誰かが落ち込んでいる時、皆さんならなんて声を掛けますか⁇

 

私は昔から失敗が多いです…。

失敗する度臆病になり、何かに挑戦するのに怯えています。

「また同じ失敗を繰り返したくない。」

「失敗したら周りからなんて言われるだろう?」

「駄目な人って思われているのかな?」

なんて、口には出さないですが心の中では思っています。

失敗を恐れて、何にも挑戦しなくなり楽しみも減るのがオチです。

そんなこと言われなくとも分かっています。

 

よく「失敗は成功のもと」とか「失敗しない人間なんて、この世に存在しない。」「失敗を次に生かせろ」といった言葉を掛けられますが、そりゃあそうなのかもしれないです。

誰もがいろんなことで失敗して学んでいる。

しかし、それは絶対に全ての人とは限りません。

 

人にはそれぞれ耐え切れる限度があります。

その人にとっては小ちゃい失敗かもしれませんが、この人にとっては人生に関わるくらいの大きな失敗かもしれません。

三者はその人の気持ちを理解できているつもりでも、それはなかなか難しいことでしょう。

例え同じ失敗でも、その人の精神的なダメージにもよります。

そんな人に、理解しているつもりで励ましの言葉を掛けたとき、その言葉1つでどう気持ちが変わるかも人それぞれです。

 

私は昔から失敗しても「全然平気」「何も心配ないよ」と、あまり周りには心配をかけたくないと言う気持ちから、強がってしまうことがありました。

内心は全然平気ではなく、今にも潰れてしまいそうな心を必死に保ちながら、出来るだけ笑顔で振る舞いそんなにショックは受けていないように見せていました。

ですが、長年付き合っている友達や一番身近である家族にはお見通しのようです。

普段通り振る舞っていても「やっぱりいつもと何か違うな?」とか、表情に出さないようにしているつもりでも「顔を見たら分かる」と見抜かれてしまいます。

そして私はとにかく頑固です。頭が硬いんです。

だから、どれだけ慰めや励ましの言葉で「大丈夫、誰にでも失敗はある!」「終わったことやし、先のこと考えて頑張り!」など声を掛けてくれても、もちろん心底有り難い気持ちでいっぱいです。

だからと言って、すぐに立ち直れる訳がないんです。

私は、私がやりたいと心に決めやった事が失敗ばかりで、結局続かない。自分には向いていない。といったショックがかなり大きいのです。

簡単には片付けれません。例え小さな失敗でもいつまでも根に持ってしまい、結局次に進めずにいたり。また次失敗するのが怖くて、やりたかった事を諦めてしまったりもします。

 

自分が、どうしてもやりたいと思った事を諦めるのは簡単じゃないです。

「そんなに簡単に諦めてしまうくらいなら、最初からそこまで本気ではなかったんだ。」と身内に言われた事がありますが、そうではないのです。

私にしか分からないこの臆病な気持ちを知らないから、そう言うのでしょう。

それに、私は人一倍プライドが高いです。

やると決めたことは、必ずやり遂げたいし一番上に立って輝きたいとも思います。

 

なのでかなり厄介な性格でしょう。

 

なおさら、励ましの言葉などは通用しないんです。

少しでも私を理解してくれているであろう身内や心を許せる友人にでさえ、私のショックから抜け出す方法を見つけるのは難しいでしょうに、あまりお互いを知らない人からの言葉というのは、私はどうにも受け入れ難いです。(申し訳ないですが。)

 

味わった事がないこの気持ちを「大丈夫」「〜になら出来る」とか、何を知ってそのような言葉を掛けているのかと疑問に思います。

何が大丈夫なんでしょう⁇

やっても出来なかったのに、なぜ出来るって言い切れるんでしょう⁇

私は自分の落ちてしまった気持ちは、静かな空間の中で徐々に自分を落ち着かせ、本調子に戻していくタイプです。

 

私は性格上、人の言葉をあまりにも簡単に受け止めてしまいがちです。

そのせいで変にポジティブ思考な部分が多々あります。

しかし、それが原因で同じ失敗も繰り返してしまうということもありました。結局失敗して傷つくのは自分です。周りは気持ちを汲んだ上で言ってくれている言葉でしょうが「人はなんとでも言える」と言いますが、それも一理あります。

結局失敗した時、自分の周りで本当に手を差し伸べてくれる人は何人いるでしょうか?

それはもう片手の指だけで数えれるくらいでしょう。

だからといって、何も声を掛けないのもそれはそれで「冷たい」とか「感情が薄い」など悪い印象も与えてしまうこともありますね。

 

なら結局どうしたらいいの?ってなりますよね。

しかし私のように、「性格が頑固でわがままでプライドが高すぎる」という人が全てではないです。

だから、とりあえずはその人がどのように落ち込んでしまっているのか、その人がどんな言葉を求めているのかを探り声を掛けてるのがベストですね!

 

むやみやたらに励ましや慰めの言葉を掛けるだけでは、かえっていい印象にはならないのではないでしょうか?

 

それに、なんて声をかければいいか分からない時でも、とりあえず隣で居てくれるだけで、それだけで少しは気持ちが晴れることもあるでしょう。

その人の話を聞くだけでも「この人は私の話を真面目に聞いてくれている」が、「この人なら理解してくれている」に変わるかもしれませんしね。

 

私は友達が落ち込んだりして、話を聞いている時すごく悩んでしまいます。

なんて声をかければいいのか、私には経験のしたことのないことだからどう言えばいいのかと。

適当に掛けてしまった言葉ひとつで、その人が立ち直る事ができないほどに傷つけてしまう可能性もあります。

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言葉とは凄く難しいですね。

 

受け止める側の気持ちをしっかり考えて言葉を発しないと、肉体的暴力はかなり痛いでしょうが、言葉の暴力は一生心に残る傷だと思います。

 

私も昔から言葉遣いが荒いと周りからよく注意されますし、たくさん喧嘩にもなりました。

そんなつもりがなかったとは言え、言ってしまったことに変わりはないのですから。

私はそれから言葉遣いを気をつけるようにしました。

お互いが話していて気持ちの良い言葉の使い方をしたいと思いました。自分だけでなく相手のことまで考えて。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました^ ^

仕事へのやりがい

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皆さんは仕事をしていてやりがいを感じますか?

「もちろん感じる!」と言う方もいれば、

「あまり感じない」と言う方もいるでしょう。

 

私は現在介護職で働いています。

介護職は、老人の方を主に体に障害がる方、精神的に障害があり障害手帳などを持っている方の、普段の生活で出来ない事を自らが出来るように、自立支援をするサービスです。

もちろん利用される方の要介護度によって、どこまで支援してくれるかも変わってきます。

 

利用する施設によっても、様々なサービスがありもちろん料金も変わってきます。

 

私が働いている施設はデイサービスで、朝から夕方まで(その方によって利用時間は変わります。)施設で過ごし入浴介助、食事介助、レクレーションなどといった1日の主な流れは決まっています。

施設によって、レクレーションではなくリハビリがメインの施設もあります。

私はどちらも職場経験があります。

・レクレーションは、塗り絵やイラスト、カラオケにお散歩など楽しいこともたくさんありますが、リハビリにもなる脳トレや指の体操から体全体を動かす体操などもあります。

 

・リハビリがメインの施設では理学療法士の方が週に何度か施設へ来て、リハビリやマッサージを行なっています。リハビリに力を入れているので、施設内にはマッサージチェアーやメデルゴ、ラボード、ローイングやレッグプレスなど専門的な機械を設置していたりします。

 

利用者様がリハビリなどを受け自らが「動こう」出来ていなかったことも「やってみよう」と言う気持ちになって頂ける方も多くいます。

支援させていただいている介護士たちから見ても、その意思がすごく嬉しく「仕事へのやりがい」へと繋がるのです。

 

私は高校生の時から、将来特にやりたいことやなりたい職業などがありませんでした。

お父さんとお姉さんが介護士でして、その影響で高校卒業後すぐに介護職で働くことになりました。

最初は利用者様の人数も多く、曜日によって利用される方、お休みの方と様々で名前と顔とが一致するまでに時間がかかりました。

それに対象は同じ人間です。

人間関係は本当に困難で、利用者様全員が私の事を良く思うことはまずないでしょう。

そういった面でもすごく大変でした。

 

しかし、この仕事をやり始めてから老人に対する印象がガラッと変わりました。

仕事の時以外の普段からでも、老人の方を見かけ困っているようであれば、迷わず声を掛けれるようになり積極的に「何か支える事ができれば」と考えるようになりました。

もちろん義務的な気持ちではなく、してあげたいという気持ちからの行動なので、私自身胸を張って生きる事ができます。

 

しかし、また違う職場での経験ですが同じデイサービスでも、基本的に要介護度が低い利用者様が利用する施設では利用者様に付きっきりでない場合や、

1人で席から立った場合、寄り添う事がなかったりであまり支援しない事もありました。

 

私は要介護度が低いとは言え、急に意識不明になったり予期せぬ転倒など様々なアクシデントがあり、それが原因で要介護度が急激に上がってしまったり最悪の場合生命にも関わってきます。

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私はまだまだ経験も知識も浅いので、全てを分かりきっているわけはもちろんありませんが、やはり最低のことまで考え予知し利用者様を支えていきたいと思っています。

介護制度はまだまだこれから改善されていく事が多々あるでしょう。

私は利用者様の事を考え、どの施設を利用しても安心して過ごしていけるような環境を作っていきたいと思います。

もちろん利用者様だけでなく、家族様にも安心し任せて頂けるのがなによりです!

 

そうした環境に近い施設で働くのは、ものすごくやりがいが感じ自分の将来のためにも大幅に役に立ちます。

今後も良い環境になっていく事を望みます。

 

皆様も、職種などで形も大きく変わってきますが、自分に合っている仕事合っていない仕事関係なく、やりがいがあれば、自らが努力し良い風に改善するようになるのではないでしょうか。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました^ ^

ブログの投稿頻度は少ないかもしれないですが、今後とも宜しくお願いしたします!^ ^

誰にでも聞いてほしい。私が生きてて良かったって思える話。

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生きてて良かったって思えるまでは長かった。

正直なところ生きてる意味なんて全然分からない。

何のために生まれて、何を目的に生きてるかなんて。

すごく辛い状況に陥った時、そう考えてしまう。

「誰かに必要とされてるんかな?」と。

どんなに考えても答えなんて見つからないし、考えるだけ無駄だと思った。

だって、生きてるんだから。そのことについて考えれば考えるほど、しんどくなってしまうだろう。

だから、私はそのことについて考えるのをやめた!

私は、一人ひとりの人生はすごく不平等だと思ってしまう。

その考え方は、皆それぞれ違うだろう。

でも私はそう思う。

だって、産まれる国や時代、環境なので全然人生は変わってくるでしょう。

もちろん100%の確率で五体満足で産まれるとも限られない。

ものすごく貧しい国で生まれ、戦争があったり医療が発達していない国など様々です。

どんなに環境が良く金銭的にも不自由ない家庭に生まれたとしても、努力し続ければ必ずしも報われるとは限らないだろう。

でも、どこでどんな形で産まれようとその人自身の考え方次第で、その人にとって幸せと捉えるか不幸と捉えるかは全然違います。

三者がその人が思う幸せをどう捉えるかは、別に関係がない。

人それぞれ考え方や価値観は全く異なります。

自分が思う幸せを日々心に刻みながら、その幸せが続くように努力し、大切に過ごしていくべきです。

私は現在もまだまだ子供ですが、もう少し何に関しても未熟な子供の時は、「自分は周りの子に比べて不幸な子」だと自分で思い込んでいました。

生きていて楽しいこともありますが、それ以上に辛い時の方が多いと感じ、「楽しいや幸せ」という感情より「苦痛や悲しみ」という感情が、私のまだ幼い心を染めていきました。

私が物心がついた頃から、母親が居らず父親と一つ年上の姉との3人の生活が当たり前のようでした。

お父さんは、病気を持っていながら毎日仕事に行っていました。

母親が居ない分、洗濯物や洗い物、掃除機やお風呂掃除など家事は、姉と2人で当番を決めてやっていました。

お父さんは少し厳しく、怒ると酷く怒鳴ったり手を上げたり物を投げ当ててきたりで、私と姉は昔からお父さんに恐怖を感じていました。

友達からも、「お父さん怖いな」と言われ続けそれで遊ばなくなった友達もいます。

でも、それでも優しかったり面白かったりするお父さんが大好きでした。

学校に通っていると、どこでも授業参観、音楽会などの様々な行事があります。

もちろん周りの子供達の両親は観に来ています。

だけど、私の親は父親だけで仕事で忙しく大半を観に来ることがなかったです。

それはもちろん寂しい気持ちでいっぱいでした。

観にきて欲しいと何度も頼んだこともありましたが、その願いも虚しく来ることはありませんでした。

小学校低学年のある授業参観の時に、隣の席の友達に「お母さん観に来てくれないの?」と、聞かれました。

その時初めて、周りの子の母親を見て羨ましいと感じ、自分のお母さんについて考えました。

「私のお母さんはどんな人なんやろう?何処にいるんやろう?」と。

その日家に帰ってお父さんに聞いてみました。

すると、お父さんは直球に「お前らを捨てたんや。」

と言いました。

もちろん私はその言葉の意味をすぐには理解出来ず、詳しくお父さんに聞きました。

どういう意味なのか、なぜ捨てたのかを。

理由は簡単に「子供を育てるのがめんどくさいから。」と言いました。

私も姉もショックの域を超えていました。

それでも幼い私と姉は、もちろん恨みなどといった気持ちはなく、ただただ会ってみたい!という欲望でいっぱいでした。

お父さんに率直に「お母さんと会ってみたい。」と伝えると、強く反対されました。「お前らをなんとも思ってないんやぞ!捨てたんやぞ?」と。

もちろん悲しさは隠し切れないほどありました。

でも、母親が居なくなってから数年も経てば、子供に対する気持ちに変化があるかもという期待がありました。

お父さんにしつこく言い続けた結果、渋々許可をもらい、お母さんに会えることになりました。

私と姉は会う日が来るまで、心を弾ませながら待ちました。

そしてついにその日が来て、待ち合わせ場所までお父さんと姉と一緒に向かい、私の記憶上初めてお母さんと顔を合わせるので緊張でいっぱいでした。

お母さんは、とても嬉しそうに笑っていて私と姉に駆け寄り、強く抱きしめてくれました。

初めてのお母さんの腕の中は、実感はないが嬉しさのあまり、私も姉も涙が溢れました。

そして、お父さんとお母さんは少し話をして、お父さんは私と姉に手を振り家へと帰って行きました。

その日は一日中お母さんと私と姉の3人で過ごし、いろんなところへ連れて行ってくれてとても幸せな気分でした。

私と姉は小さい時から片親で、家庭が厳しかったせいか、お小遣いは貰えませんでした。もちろんお年玉もです。その時お母さんに内緒でお小遣いを500円くれていたのが、すごく嬉しかったです。

そして約束の時間が来て集合場所でお父さんが待っていて、お母さんにお別れをして家に帰りました。

私は別れた後も、楽しさと嬉しさで余韻に浸り夜も眠れませんでした。

後日お父さんに、「またお母さんと会いたい」とお願いしました。

そしてお母さんとは、毎月第三土曜日に会う約束をしました。嬉しそうにする私と姉を見ていたお父さんも、いつもより上機嫌で私はますます幸せを感じました。

それから月日が流れ、中学生になった頃も月に一度お母さんに会える日を楽しみに過ごしていました。

そんなある日、私はお父さんと小さな事ですれ違い、それから口を聞く回数も減り、お父さんと過ごす日々が嫌いになってしまいました。

それからお母さんと会うたび「お母さんと一緒に住みたい」という気持ちが増し、私はお父さんにお母さんと一緒に住みたいと言いました。

会うことにも反対しているので、一緒に住むなんてもちろん反対されるのは目にも見えていましたが、それでも強気に「家を出たい!」と気持ちを伝えると、お父さんは目の色を変え怒り、私を呆れ返った目で見ていました。

それでも私の気持ちが折れそうもないと判断したお父さんは、私のこと少し見放したかのように承諾しました。

後日お母さんとお父さんと集まり、その話をするとお母さんも承諾してくれました。

すると、少し前にお父さんが「お母さんと再婚考えようかな」と言っているのを思い出し、それをお母さんに伝えると、なんとも奇跡かのようにお母さんも「私もそうしたい」と答えてくれました。

それから私は、家を出るのではなくお母さんも含めた家族で、家で過ごすことになりました。

毎日順調に過ごしていたはずなんですが、1ヶ月後には上手くいかず話し合っても解決せず、結局私とお母さんが一番揉めてしまい、お母さんの口から「子供に対して一切愛情はない。お父さんしか好きじゃない。」と言われ、私は実の母親に向かって決して言ってはいけない言葉を放ち、お母さんはその言葉の重みを知った上で微動だにせず、また離れて暮らすことになってしまいました。

月に一度会っていたその約束もなくなり、お母さんに会いたいという気持ちすらなくなりました。

「こんな辛いんやったら、いっそ母親なんか居らん方がマシや。」と酷くお母さんを軽蔑しました。

私だけでなく、お父さんまで窶れてしまい病気も悪化し、それでも休むことができない仕事に毎日働きに行きました。そのストレスは私と姉に当たってくることが多く、私はそれにすごく不満を抱えていました。

それから限界だと感じた私は、従兄弟の家に約一年間家を出ました。

従兄弟の家で過ごしている間、従兄弟の叔母さん(お父さんのお姉さん)に、お父さんの愚痴をばら撒きました。叔母さんは、「辛かったな。可哀想に。」と同情し、よくしてくれました。

そして一年が経とうとしたある夜のこと、叔母さんが私に話があるからと呼び出されました。

その空気はとても重苦しくて、まだ何も言われていないのに威圧感だけで息苦しい空気でした。

叔母さんは「あんたは一人で生きてるわけじゃなく、お父さんのお金で生かしてもらってるのにそんな悪口ばっかり言って、最低やな。黙って聞いてたけど、あんたみたいな人間見たことないわ。これ以上もう聞きたくないし実家帰り。」と言われて、ずっと優しく共感してくれてた叔母さんの急変に呆然としながら突っ立っているだけの私でした。

実家に帰るように言われ一年間顔を合わせずにいたお父さんと会うのを嫌に思いながら、帰るとお父さんも姉も私に対し他人行儀な態度で接し、実家に帰って1ヶ月と少しは、ずっとその調子でまともな会話も一切せずいました。

その時、私はものすごく自分を責めました。

叔母さんに言われた言葉をよくよく考えていると、自分が情けなくどれだけ最低なことを家族にしたんだろうと、自分を軽蔑し酷く嫌いました。

それからお父さんと姉は普通に接してくれるようになり、私は物凄く家族を大事に思い生きていくようになりました。

高校生になり、お小遣いがなく友達と遊べなかった日々でしたがアルバイトも始めることが出来る年に私は浮かれ、すぐにアルバイトを始めました。

そして今までお父さん1人で育ててくれた感謝の気持ちとして、毎月生活費を家に3万円入れました。

その行為は、「お父さんがそれで少しでも楽になれば」という自らが望んでしている事なので、何一つ苦に感じることはなかったです。

しかし、私は普段の門限に関して少し不満を持っていました。門限は18時半です。高校生になったのに、さすがにそれは短いと感じた私は、門限を少し破ってしまったらしていました。もちろん酷く叱られます。でも、それを繰り返すうちに門限は20時まで延びました。

友達の家にお泊まりも行けませんでした。

でも、「自分が未成年で何かあれば責任は全てお父さんに行ってしまう。」と理解しました。

高校卒業後、すぐに介護職を始めました。

社会人になった今でも、未成年というのは変わらないので門限も変わらず20時のままです。

学生ではないので、家に入れる生活費は2万円プラスされました。

すごく大変です。

でも、それでも私はこの生活がこの家族が大好きです。

私は心底幸せだと思いながら生きています。

ここまで厳しくしてくれたから、今の自分がいると思います。

私は、自分自身の性格など全てが好きです。

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たくさん辛いことも経験しました。

その上で家族の大事さが分かりました。

私よりもっと辛い思いをして生きている人なんて、星の数程いるでしょう。そう考えれば自分の悩みなんてどれほど小さいものか。

私は幸せだ。生きてて良かった。私を産んでくれた両親にとても感謝しています。

失敗も人生の一つです。

どん底に落ちてしまったなら、それ以上落ちることはないでしょう。落ちきったなら、あとは自分がどこまで頑張って這い上がれるかです。

自分で自分の限界を作って諦めてはいけません。

何事もポジティブに考えてみてください。

辛いこともばかりではありません。

少し見方を変えるだけで、捉え方は全然変わってくるのです。

まずは、もっと自分を認め大事にしてください。

「自分を大事にできない人は、他人も大事に出ない。」

本当にその通りだと思いました。

まだまだ先が長い人生です!これからも今まで以上にたくさんの経験を積んでいきます。

そんな時、どんな事があっても前向きに生きていきたいです!

長々とお話ししましたが、最後まで読んで頂いて有り難うございます^ ^